瓦は、いまから約3000年ほど前に中国で発明されました。いつ頃から作り始められたのか、詳しいことは判っていませんが、あの三国志の時代よりも遡ること数百年、さらには中国が秦の始皇帝に統一されるずっと昔から、瓦は人々の暮らしを守ってきたことになります。発掘調査により発見された世界最古の瓦は、西周初期のもの。紀元前1000年頃の瓦が確認されています。
瓦と言う字は、中国語では粘土を焼いたものを総称して示します。かまど周囲の土が、燃焼により強固になっていることに気付いた古代の人々が、住居の壁や床などの強度を高めるために粘土を塗り、直接火で焼き固め、やがてそれが瓦へと進化していったと考えられます。土器や煉瓦と同様、瓦も、偶然が織りなした文明の産物と言えるでしょう。
東洋における瓦の歴史では、実用的な機能面に加え、呪術的な装飾品としての顔も持っています。自然や生き物をモチーフに配したものや、家屋を守る様々な聖獣を紋刻したものなど、アミニズムとしての意味合いも色濃く伝えられ、そうした側面がさらに瓦文化を発展させてきたものと思われます。
ヨーロッパでは、約2000年前のローマ時代につくられた瓦や、またギリシャ時代に建てられたパルテノン神殿からは大理石の瓦が発見されています。紀元前のヨーロッパ建築においても、瓦は建材としてすでに一般化していた痕跡がみられます。
漢の時代、シルクロードを通じて東西文化の交流が盛んに行われ、ペルシャから伝えられた釉薬は、瓦の技術にもさらなる発展を促進。随唐時代には、より耐久性を高めた釉薬瓦が製造されるようになりました。
日本に瓦技術が伝来したのは、朝鮮半島(百済)から。「日本書記」によると588年に、寺工2名、鑪盤(ろばん)博士1名、画工1名と共に、瓦博士4名が渡来したと記されています。この工人集団が渡来したことを契機に、日本で最初の、瓦技術を駆使した飛鳥寺(法興寺)が建立されました。
ただ、飛鳥寺よりも古くに建てられた、向原寺(日本最初の仏寺)はすでに瓦を使用していたとの説があり、それ以前から瓦製品の輸入は行われていたと考えられます。
朝鮮半島(百済)から瓦博士が渡来した20年後の607年。日本国内の瓦工人だけで建立された初めての建築物、それが法隆寺です。渡来人から伝わった工法に、より磨きをかけ独自の技術で瓦を製造したと言われています。その美しい姿は、1400年経った現在でも、奈良斑鳩の地に見ることができます。
いろいろある諸説の中でも、サンスクリット語のカバラ(覆う、頭蓋骨、陶片の意)から、日本語で「かわら」と発するようになったのでは、とよく言われます。しかし、中国語では、瓦という漢字を「かわら」とは読みません。瓦は仏教と共に日本伝来していることから、当初は中国語読みの「グァ」と呼ばれていたはずで、それが平安時代頃から「カワラ」へと変化していったのではないか、という研究者もいます。